『春を抱いていた』11巻/新田祐克

春を抱いていた 11 (スーパービーボーイコミックス)

春を抱いていた 11 (スーパービーボーイコミックス)

この11巻が出たのが2月の10日……。私は早売りでゲットしていたので、もうかれこれ12日前に手に入れていた書物なわけですが、なぜか今頃感想をあげます。いや、作中の宮坂くんを叱る岩城さんの一喝がキいたのか、何だかマジでおいそれとは感想を書けないというか、必要以上に身構えてしまいアップできずじまいでいる期間が長かったのです。


春抱き夫婦といえば、攻の方が年下のナイスカポーであるが、この作品はボーイズラブにしては珍しくリバーシブルに果敢に挑戦している。しかも、ただのリバでなく、論理的なリバである。いつも受身の岩城さんにとって「香藤を抱く」ということにはきちんと論理的に説明できる動機、理由がある。最新刊を読んでも、岩城さんの言動にはいちいち納得がいく。
そこのところが新田祐克作品の絶妙なところだと思う。この方の作品は、その絵柄の濃さやストーリー展開のダイナミックさ、濡れ場の構図の斬新さなどのせいで、ついついパッショネイトで奇抜な部分ばかりが印象として語られがちだけど、私は、言葉にして互いの理論をぶつけ合い納得し合っていく、プロセス重視の理論派の側面の方が、むしろ作品の柱として重要なのではないかと思う。
何でかって言うと、それが全然ロマンチックじゃないからだ。大声を上げて「身体がキツイからってこばんじゃいけないのか!!」と香藤の訴える岩城さん。全然ロマンチックじゃない。「もっとオレに一生懸命になってよ!!」と叫ぶ香藤。全然ロマンチックじゃない。そう、新田祐克先生の作品は、全般的にあまりロマンチックじゃない。この最新刊でも、来客に慌てた岩城さんが裸で駆け出すところとか、庭で雑草を刈っているところとか、びっくりするくらい現実味を帯びた描写がなされている。根っからのやおいっ娘である私は、普段から受に夢を見がちで、「生活感に溢れた受たんなんか見たくない〜」なんて思ってしまったりするので、新田祐克先生のリアリズム溢れる表現の数々にはいつもはっとさせられる。そうだよね。受だって人間なんだ。岩城さんだって、雑草刈るんだ。「うう〜」って泣くんだ(アドリブなのに、カメラの前ではちゃんと女優泣きしてたところが岩城さんは芸能人と思う)。

リバ行為は「やおい的ロマン」の対極にあるものだと思う。現に私は春抱き以外のリバカポーは苦手である。そんなホンモノテイスティーやおいに求めていない。でも、新田祐克先生のキャラクターは、そんな私をいちいち納得させてくれる。やおい的ロマンを捨てても得たい「何か」がこの作品にはある! 納得せざるを得ないパッションとリアリズムが、春抱きには同居するのである。まさに冷静と情熱のあいだ(by.ポール)。最新刊の岩城さんの熱すぎる台詞の数々は、ミウッチーあたりの漫画家のキャラが口にしていたらマジで宗教一歩手前だよ、と突っ込むところだと思うけど(「魂」という言葉のインパクトはでかかった)、岩城さんの口から出た言葉なら素直にシビれることができる。


何だかまとまらない感想になってしまった。そもそも春抱きは11巻も続いているわけで、それこそ香藤と岩城さんが人格をぶつけ合っていたころのエピソードひとつひとつひろって感想を書いていたら、万単位の文字数が必要になってしまう。と言ってもいつか書きたいけど……。なんていうか、この話、好きなんだよ私。本当に、これ、伝説の作品になると思うんだよ。そういえば最近香藤がなぜこんなにも優れた攻なのかをすごく真面目に考えていて、「結局香藤が岩城さんより年下だから」という結論に達した。順当に行けば、香藤は岩城さんを残して死ぬことはない。そのために香藤は岩城さんよりあとに生まれてきたんだと思う。

ってこんな会話が原作でされていたように思うんだけど、気のせいでしょうか?