おっさん受に感じる恍惚

私は、テレビが好きです。お行儀が悪いとは思いますが、ごはんを食べているときやお茶をしているとき、書きものをしているとき、よくテレビをつけっぱなしにしています。テレビは魔物です。さして興味のないテーマでも、編集の巧みさに引っ張られ、一度見始めると最後まで見続けてしまうことが多々あります。見終わったあと「ああ時間の無駄した」とガックリくることが多々あるのです。面白いだけに、テレビは困ったやつなのです。

そこで私はテレビを見るのをやめました。でも、無音は寂しい。そんなときは、外国のきれいな景色を紹介しているチャンネルにあわせて、えんえん見続けています。デジタル放送が見られるようになったこともあって、めちゃくちゃきれいに見えるのです。


で、ここからが本題なんですが、この間、古めかしい、なんかいい感じの洋館を紹介していました。普段、洋館なんて別に興味ないんですが、雰囲気がいかにも重厚でとにかくすばらしいんです。ひと目見てみたい、足を踏み入れたい、室内の空気を吸ってみたい、と思わせる美しい洋館だったのです。
その洋館には青々とした植物の蔦がはっていて、建物を覆いつくさんと勢力をひろげている感じでした。



なんていうか、私の思うオッサン受の魅力って、コレだなと思いました。



いや、古めかしい洋館と青々とした若い蔦に、なんとも言えない対比の妙を感じたといいますか…。建物はこう、微動だにしない感じがいい。「好きにしな…」って自由にまとわりつかせてる感じがいい。そして蔦は蔦で、建物を多い隠さんとする様に「岩城さん(洋館の仮名)、キレイッ!」「こんな色っぽい姿、誰にも見せたくないよ!」的な春抱きの香藤的独占欲を感じさせるというか。そこに蔦の征服欲、下克上スピリットを感じたのです。あの蔦はやがて洋館をおおい尽くせば、それで満足なのでしょうか。蔦の欲望が完成したとき、そこには秘密の花園ができあっているのでしょう。なんとなく淫靡ですね。想像したら興奮してきて、古い館も悪くないな…ていうかむしろはげもえな物件なのかなと思いました。




「…で?」って感じだと思いますが、とくにオチもなく終わる。