ボーイズラブ小説に挿絵は必要か?

確かに私はBL小説の挿絵買いをしたことが何度もある。思い返してみると、名作とうたわれる多くのBL小説は、挿絵と小説の相性がベストマッチングであるような気もする。挿絵が小説の欠点を補ってくれること、また相乗効果を与えてくれることは否定できない。
だがしかし。最近電車の中で、角川文庫(ルビーでないところがミソ)の『アレキサンドライト』を読んでいたとき、挿絵無しの快楽に一気に目覚めてしまった。挿絵無し素晴らしい。挿絵がないと「ああ、オレは自由だ!」という気になる。受も攻も自分の好きな人物像を思い浮かべられるし、本文に具体的な描写がないかぎり攻の私服がパーカーで萎える(私は男のパーカー姿が苦手)、なんてこともなくなるのだ。想像力の翼を思い切り広げられるのである。

それに、はっきり言って、(物語を紡ぐ)力のあるBL漫画家には、挿絵を描いているヒマがあるのなら1本でも多くの漫画を描いてほしいと思ってしまう。「この人、原作付きなら売れるだろうにねー」ってな感じの漫画家こそ、挿絵師として活躍するべきであろう。私が挿絵師に要求することは3つ。1:小説に対する正しい解釈(内容とちぐはぐな挿絵は言語道断)。2:絵柄に華があること(挿絵師は必然的にカバーイラストレーションも担当することになるので、表紙のインパクトはかなり重要。絵柄に華がなきゃ売れにくい)。3:低姿勢(あくまでメインは小説です)。あと挿絵は大抵1ページ単位で入るもので、漫画のコマのように自由なサイズで切れるものではないから、空間を巧く処理できる人じゃないとイカンと思う。

前ポールさんとも話していたんだけど、電撃文庫の形式ってかなりいいと思うんです。本文には挿絵なしで、巻頭に配置されているカラー口絵で、キャラクター単体のイラストとか、その巻のメインとなるシーンのイラスト(見開きのケースもあり)が2〜3あるの。イラストが気に入ったら適宜参照しながら本文を読めばいいし、気に入らなければカバー折り返しのそでのところで挟み込んでしまえば、一切目に入らない。で、本文は電車のなかでもめくり放題、読み放題。どうです。素晴らしいじゃーありませんか。

カバーイラストのノリについてはですね、別に今のままでいいと思うんです。たとえ帯に「淑女伝説」とデカデカ書いていようが、「どこででも足を開け!!」と書いていようが。それがBLのノリってやつです。買うとき恥ずかしいのはどうでもいい。そんな恥じらいはもう乗り越えた。どうせ私は普通の小説を読むときもカバーをかけて読むタイプです。
(そのうち続きを書きたい)