年下攻について全身全霊を込めて考える

ゲームはおしまい! (キャラ文庫)

ゲームはおしまい! (キャラ文庫)

このタイトル、すごく鹿住てんてーらしいな。ちなみに収録されている書き下ろしは「本気はこれから!」……うーん、鹿住てんてークオリティ。そんなことはともかく、この本のプロフィール欄にて鹿住てんてーが衝撃的なコメントを残している。

この本、キャラ文庫では初めての年下攻なの。珍しく年上受じゃなくて年下攻なの。この違いわかるかな?(笑)

わっかんねえよ、鹿住てんてー!!!!
年下攻の相手は必然的に年上受になるんじゃないの?年下攻と年上受って違うの?つーか年上受なんて言葉、初めて聞いたんだけど!
この質問をジョー氏に投げかけた頃から「年下攻の魅力とは一体何なのであろうか?」という疑問が私の頭の中で常に渦巻いていて(こんなことばかり常に考えているのも我ながらどうかと思うが)、「敬語を使う」などの具体的な性質を考えては「しかしそれはあの年下攻にはあてはまらないではないか!」と即否定するという、自作品を割りまくる気難しい陶芸家のごとき悩ましい日々を送っていた。
が、しかし、私は根本的に間違っていた。私は大事なことに気付いていなかった。
「年下攻」というのは「ヘタレ攻」や「鬼畜攻」とは違い攻固有の性質ではない、ということである。
「年下攻」、それは受と比較した場合にのみ表出する単なる事実に過ぎない。そういう意味で「年下攻」というのは「攻の種類」というより「シチュエーションの種類」の一つに近いのではなかろうか。つまり「年下攻に萌える」ということは「年下の男が年上の男を攻めるというシチュエーションに萌える」ということであり、攻本人の具体的な性質を挙げることはナンセンスなのではないか?という考えに至ってしまったのだ。コペルニクス的転回である。
では今まで自分がせっせと挙げてきた「魅力的な年下攻の性質」とは一体どこから来たものだったのだろう?全ての年下攻にあてはまらないものもあったが、あてはまるものもちろんあった(と思う)。しかし今思えば、あれは年下攻というより、単に自分好みの攻の性質を挙げていただけなような気がする。「○○だから年下攻が好き!」ではなく「年下攻は○○にしやすいから好き!」が正しい心の動きなような。
そこまで考えた時に年下攻の大家・山田ユギたん先生が『水温む』(親父受)のあとがきでこうおっしゃっているのを発見してしまった。

私は必然がないと、まず年下攻になってしまう

なんてシンプルかつ力強いお言葉!さすがユギたん先生だぜ。なんかこんなに考えてた俺が馬鹿みたいだ。「考えるな!感じろ!」(BY.ブルース・リー)ってことですかね。だがしかし鹿住てんてーの謎かけの意味が分かるまで、年下攻を追究するマイウェイは続くのである。(続く、かも)