年下攻について全身全霊を込めて考える
- 作者: 鹿住槇,宏橋昌水
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2001/01
- メディア: 文庫
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この本、キャラ文庫では初めての年下攻なの。珍しく年上受じゃなくて年下攻なの。この違いわかるかな?(笑)
わっかんねえよ、鹿住てんてー!!!!
年下攻の相手は必然的に年上受になるんじゃないの?年下攻と年上受って違うの?つーか年上受なんて言葉、初めて聞いたんだけど!
この質問をジョー氏に投げかけた頃から「年下攻の魅力とは一体何なのであろうか?」という疑問が私の頭の中で常に渦巻いていて(こんなことばかり常に考えているのも我ながらどうかと思うが)、「敬語を使う」などの具体的な性質を考えては「しかしそれはあの年下攻にはあてはまらないではないか!」と即否定するという、自作品を割りまくる気難しい陶芸家のごとき悩ましい日々を送っていた。
が、しかし、私は根本的に間違っていた。私は大事なことに気付いていなかった。
「年下攻」というのは「ヘタレ攻」や「鬼畜攻」とは違い攻固有の性質ではない、ということである。
「年下攻」、それは受と比較した場合にのみ表出する単なる事実に過ぎない。そういう意味で「年下攻」というのは「攻の種類」というより「シチュエーションの種類」の一つに近いのではなかろうか。つまり「年下攻に萌える」ということは「年下の男が年上の男を攻めるというシチュエーションに萌える」ということであり、攻本人の具体的な性質を挙げることはナンセンスなのではないか?という考えに至ってしまったのだ。コペルニクス的転回である。
では今まで自分がせっせと挙げてきた「魅力的な年下攻の性質」とは一体どこから来たものだったのだろう?全ての年下攻にあてはまらないものもあったが、あてはまるものもちろんあった(と思う)。しかし今思えば、あれは年下攻というより、単に自分好みの攻の性質を挙げていただけなような気がする。「○○だから年下攻が好き!」ではなく「年下攻は○○にしやすいから好き!」が正しい心の動きなような。
そこまで考えた時に年下攻の大家・山田ユギたん先生が『水温む』(親父受)のあとがきでこうおっしゃっているのを発見してしまった。
私は必然がないと、まず年下攻になってしまう
なんてシンプルかつ力強いお言葉!さすがユギたん先生だぜ。なんかこんなに考えてた俺が馬鹿みたいだ。「考えるな!感じろ!」(BY.ブルース・リー)ってことですかね。だがしかし鹿住てんてーの謎かけの意味が分かるまで、年下攻を追究するマイウェイは続くのである。(続く、かも)
年下攻について本気出して考えてみた
確かに「年下攻」っておかしな言葉ですよね。「年下の男が年上の男を攻める」というシチュエーションをさす言葉のはずなのに、攻だけクローズアップされてるんですもの。年下攻イコール年上受のはずなのに、「年上受特集」なんて見たことないし。これって女性が受に感情移入しやすいためにおこる現象なのかしらん。性質を表す「小悪魔受」や「誘い受」なんて言葉は存在するのに、シチュエーションを表すとなると「受から見た攻」、受が主体になってしまうのはなぜなんだろう。やはりみな「年下攻」という言葉をシチュエーション的意味合いで使っていることに気がついていないのだろうな。私もポールさんに言われるまで気づかなかったし。
しかし、確かに「年下攻」と呼ばれる男たちには性質上の傾向が存在する気がしなくもない。たとえばよくあるのは、
- 「若さあまって攻めん気100倍、がむしゃらに甘え、がむしゃらに犯す!」猪突猛進タイプ。
- 「実年齢に見合わない落ち着いた態度で、年上のはずの受が主導権を握られちゃって何だか悔しい」余裕綽々タイプ。
- 「今はただの可愛いイノセント坊やだけど、10年後には化ける可能性アリ!」な将来性を買いたいタイプ。
このあたりの3パターンが王道なのではないかと思う。
上のBe-boy Luvの表紙に「年下だからって甘く見るなよ?」なんて挑発的な文句が書いてありますが、これは典型的な生徒×先生の年下攻モノである模様。上で言うと猪突猛進タイプと余裕綽々タイプを足して、不良ミックスしたような感じでしょうか。この間私が読んだ蓮川愛先生の『OVER REACH・BOY』に出てきた攻の坊やは、典型的な「将来を買いたいタイプ」の年下攻で、私はついうっかり激萌えてしまい、年下攻に見る将来性の魅力に目覚めてしまいました。巧く言えませんが、「年下攻」に性質的な一定の傾向がないと言えなくもない、ということが言いたかったのです。いや、傾向なんてないか……。よくわかんないんですけど。
世のやおいっ娘たちは、なぜここまで年下攻に惹かれるのでしょうね?なんとなく思うのは、「年齢関係なく相手を愛して欲しい」という、男性に対する女性の切ない願望の現れなのかなぁということ。前、とあるミュージシャンが自書の中で、「男性はいくつになっても若い女の子の裸を見ると『おーッ!』と単純に盛り上がった気持ちになる。でも女性は、年齢を重ねるにつれ肌に刻まれていく皺や、少しくたびれた風情にも異性のセクシーさを感じることができる人が多い」というようなことを言っていて、ひどく納得したことがあるんです。確かに男性向のアダルトビデオって、「28歳の熟女」が登場したりしますよね。「28歳じゃ熟女じゃないじゃん」と突っ込みのひとつも入れたくなるところです。
でもこれはしょうがないような気がする。実際に50歳を超えた本格熟女が出てきて単純に興奮できる熟女好きの男性って、あまりいないと思うんです。やはり画的に厳しすぎる。
なんか話がどんどん変な方向にいっていますけど、「年下攻」について考えていたら、そのミュージシャンの話が思い出されました。実は私、誘い受や小悪魔受についても、男性に対し主導権を持って翻弄したい、女性のひそかな願望のあらわれかしらんと思ったことがあります。
それにしてもポールさんが下に書いている鹿住先生の「年下攻なの。年上受じゃなくて年下攻なの。この違いわかるかな?」ってなんなんだろうね〜。それって攻のキャラに重点をおいてストーリーを展開してる、とかそういうことじゃないのか?教えて鹿住てんてー!それにしてもユギたん先生かっくいいね。さすがリーマン年下攻愛好会会長!!『水温む』好き。親父受。パパ受。
はぁ。この話はまとまらないので、またいずれ。
今日読んでいるもの
いまこれ↓を読んでるんだけど、すごくすごく面白いよ〜〜〜。SF苦手なのに〜〜〜。沖さんの挿絵って、けっこう雰囲気があっていいですね。久能さんの文章に合っている気がする。カラーのとき、色が複雑になりすぎるきらいはあると思うけど。
- 作者: 久能千明,沖麻実也
- 出版社/メーカー: 幻冬舎コミックス
- 発売日: 2003/07/01
- メディア: 新書
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というわけで引き続き年下攻について考えてみようと思います。